代表西野のドリーム対談

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世界有数のリッチで自由な国、ニッポン。なのに、なぜか若者はニートやフリーターなど働かない道へと走っています。 そんな状況に業を煮やしたのは、日本の戦後政治を主導してきた政治家・松野頼三氏(88歳!)。 政界の長老に「ドリームエントリー」を運営する(株)ビジャストの西野裕代表が迫りました。 「松野先生。働くって、どういうことですか?」



※松野頼三氏は、平成18年5月10日にご逝去されました。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。
 この対談は、平成17年8月に行ったものです。
第2回 昭和と平成の若者像の違いとは?

前回は、働こうとしない若者たちについて、考えてみました。では、松野氏が若かりし頃はどのような考えを持って働いていたのでしょうか。

元農林水産大臣の松野頼三氏は1917年生まれ。戦前に教育を受け、海軍将校として太平洋戦争に出征し、戦後すぐに政治家の道を歩み始めました。
焼け野原だった戦後から高度成長期を経てバブル崩壊、そして現在の不況。今回は、激動の時代を駆け抜けてきた松野氏の目に、 現在の若者はどのように映っているのかを聞いてみました。
第1回目の今回は、若者が働かず、ニートやひきこもりとして生きていく世の中を考えてみました。

 

■松野頼三 プロフィール
まつの・らいぞう 1917年熊本生まれ。慶応義塾大学卒業後、海軍経理学校に入学。海軍将校として終戦を迎える。 1947年、衆院選初当選により政界入り。1958年、第二次岸内閣の総理府総務長官として初入閣。1959年、労働大臣。 1965年、防衛庁長官。1966年、農林水産大臣。1990年、政界を引退し、自民党顧問に。
■現在の30歳の精神年齢は20歳以下!

西野「今は、30歳になっても親に食わせてもらっているような人がいます。我々の会社に相談に来る人のなかにも、30歳を過ぎている人は少なくありません」

松野「さすがに30〜40歳になったら気がつくだろうけど、それじゃ遅すぎるだろう。早ければ早いほど、いろいろなことで成功する可能性が広がるというのに。働きもしないで食っているのは精神的にはホームレス以下なんじゃないか」

西野「一般的に言われているのは、かつて30年前の20歳の精神年齢は今の35歳くらいだと言われています。それだけ、大人が幼稚化してきてしまっている。僕の年代が言うのは生意気ですが、かつて30歳というともういっぱしの大人も大人、親も世話して、一家の大黒柱というのが当たり前だったじゃないですか。それ以前に、20歳になったらもう立派な大人という意識があった。ところが、今は30歳になっても働かない人がいる」

松野「俺は29歳の時に代議士になった。それまでは戦場に行っていたんだ。これはもう軍の命令だからね。いやおうなしに戦争に行かされたんだ」



ニートが求職活動をしたことがない理由

会社生活をうまくやっていく自信がない 33.6
健康上の理由 29.3
ほかにやりたいことがある 28.3
能力・適性にあった仕事がわからない 25.4
自分の能力・適性がわからない 22.6
希望の就職先が見つかりそうにない 17.0
求職活動の仕方がわからない 15.5
何となく 10.6
仕事に就く必要がない 7.8
家事・育児や介護等で忙しい 6.7
家の仕事を継ぐことになっている 1.1
その他 4.9
(出典:厚生労働省受託「若年層の職業生活における実態調査(無業者調査)」

■戦後は食うために働くしかなかった

西野「先生が初めて戦場に赴いたのは、おいくつの時なんですか」

松野「25歳だよ。それから4年間、開戦から終戦までずっと戦場にいたんだ。戦時中は全く自由がない。自分で何かを判断して行動するということはできなかった。それが終戦で初めて自由になれた。だから代議士になったんだ」

西野「全く自由のない20代というのは、今の時代では考えられません。では、終戦後、若者たちの働く意識というのはどのようなものだったんでしょうか」

松野「終戦の頃はね、全国民が働くしかなかったんだ。自分が食っていくためにね。何もしないと食っていけないから、食い物を求めて働いた。じゃがいもを求め、さつまいもを求め。国民全員がホームレスのような生活だったけれど、とにかく努力するしかなかったんだ」

西野「まさしく、先生がおっしゃっているように、食うためには働かなきゃいけない。かつてはある年齢になったら働くのが大人。我々の年代でもまだその感覚がありました」

松野「それは当たり前のことだろう、と思うんだけどね」

西野「ですが、残念ながら今は、働くことの意味が“自分がそれに向いているかどうか”“自分がやりたい仕事かどうか”、それだけで仕事を見ていて、仕事をやりたい、やりたくない、の判断基準になっちゃってるんですね。働かなければならないという考え方がどこかにいってしまっているんですよ」

松野「その時のような、働かなければ飢え死にしてしまうといったところにまで追いつめられていないところに、今の問題があるんだろうな。同じ話を繰り返すことになるんだが、やっぱり甘ったれていちゃダメなんだよ。親元を離れれば、少しは真剣味が増すだろうよ」



■対談を終えて・2

食うために、生きる為に働く。これは決して「古い考え方」ではないはずです。
そうやって人生を創ってきた人は、皆不幸であるのか?
そうではないはずですね、きっと。

(株)ビジャスト代表取締役・西野裕


西野裕

西野裕 プロフィール

にしのゆたか 1966年生まれ。 経営コンサルティング会社等を経て、米国最古のアウトプレースメント会社 チャレ ンジャーグレイクリスマス?日本法人前代表取締役社長。 主要株主との経営観の相 違によりIPO直前期まで成長したにもかかわらず、あっさり経営陣総退任。浪人生活へ。 2003年8月株式会社ビジャスト設立、代表取締役就任。3年来暖めていた雇用流動支援 ビジネスをあきらめずに立ち上げる事を決意。
多くの人々の支援と賛同を受け、設立2年で驚異的なスピード成長を遂げる。 自他共に認めるいったりきたりキャリアの実践者。転職歴4回。
好きな言葉は「大丈夫」。